寝台特急で行く四国瀬戸内旅情編

珍しくまとまった休みが取れたので、
どうしても行きたかった内子と、気になっていた祖谷渓(かずら橋)を絡めて、
四国、特に瀬戸内側を回ってこようということで旅に出てまいりました。
よくよく考えてみると、本州を脱出したことはありますけど、
本州以外をメインに据えた旅行は始めてだったんですね。

そして利用するのは、先日その縮小をコラムに書かせていただいた周遊きっぷ(四国ゾーン)。
特急ネットワークが充実している四国を巡るには、これが最適なのです。

1日め
サンライズ瀬戸
サンライズ瀬戸は、東京駅から岡山を経由し、香川は高松まで向かう今や珍しくなった寝台特急です。


目を覚ましたら、ちょうど淡路島が見えるところまで来ていて、テンションが上がってきました。
あとは瀬戸大橋を通りながら瀬戸内の様子を写真に収めたりしながら、四国を目指します。

淡路島

瀬戸内海の様子

2日め
うどん県讃岐うどん駅(高松駅)
香川県自体の人口が少ないことからも(100万を切っている)、高松も人口が大きい印象はあまりありませんが、
それでも41万人を擁する都市で、割と都会だなあと感じました。

あと、とにかく暑いですね。
とあるサイトさんで「高松駅で黒ゴスを見かけた」とありましたが、都市伝説じゃなかろうかと思ってしまいます。

高松城
海に面している水城として有名ですが、実際には海との間に国道が通っているため、それほど水城という印象は受けませんでした。
むしろ堀が大きく、堀の水に映える櫓の印象が強いです。
天守閣は現存せず、何箇所か古くから残っている建造物がある感じです。
前述のサンライズ号が遅れたため、あまり時間が取れない中の駆け足の観光となりました。

現在は玉藻公園として整備されている

お濠と橋





高松城の写真は主にこの構図で取られていますが、実は海じゃなくてお濠


多度津
次の目的地へ向かうために乗換えた駅でしたが、時間があったので降り立ってみました。
観光資源が特にあるわけではないのですが、駅前の雰囲気がよかったのを覚えています。

発車ベルが瀬戸の花嫁。

祖谷渓

日本三大秘境の一つ、祖谷渓。
阿波池田の駅からバスに乗り込み、かずら橋を目指すまでの間は、その鑑賞区間となります。
非常に谷深く、谷底には今まで見たことのないような巨”岩”群がごろごろ転がって…というよりは据えられています。
そして非常に鮮やかな緑が全面を支配し、泣きたくなるほど素晴らしい感動に襲われました。
写真を一応取ってはいますが、まずその画面に収まるスケールではないんですよね。
もっと言えば、人間の士会にすら収まらないほどの、そのくらいのでかさなのです。
これは、実際に行ってもらわないとその凄さが分からないのではないでしょうか。
紀伊山地より山深いのでは、と思うほどの、四国らしい渓谷でした。

素人写真ではこれが精一杯です。皆さんもぜひご訪問ください

小便小僧を探せ!

さて、ここを通過する道は非常に険しく、離合を繰り返さなければならないのですが、バスの運ちゃんの運転が素晴らしすぎてスタンディングオベーションでした。
龍神村のそれより確実に酷かったと思います。
ありがとうございました。

祖谷のかずら橋

かずらを編んで作られたつり橋。
見た目は普通の橋”に見える”ので、予想より驚きはなかったのですが、
思ったよりも動きが大きく、揺れるというよりは沈む、という感覚のため、足が前に進みづらかったです。
目玉である”すき間”については、前回の掛け替えの時に詰めたそうなので、それほどでもありませんでした。
あとは、人のバランスの関係なのですが、若干片方に傾いていたりもしましたがが、
そういったところも含めて、本当に絶妙なバランスの上に作られているんだなと感じました。

横からだとこうですが…

実際に渡るとこんな感じです

これでも以前よりは間隔を詰めた模様

かずらをより合わせて作っており、3年に1回掛け替えを行っております


びわの滝

大歩危

祖谷渓とは一本離れたところにあります。
祖谷渓を見てしまうとどうしても不利になってしまうのですが、こちらも立派な渓谷です。
渓谷美としてはこちらの方が渓谷らしいかもしれませんね。


栗林公園

かつては日本三名園より優れていると評価された時期もある程の庭園です。
ミシュランで星三つの評価を受けているためか、外国人観光客が多かったです。




「公園」ということもあってか、スケールの大きさが目立ち、入って序盤は「確かに公園だなあ」という印象も持ったのですが、
しかし、北湖、南湖とどんどん奥に入って行くごとに、どんどんそのレベルが上がってきます。
南湖を望む峰からの風景は、栗林公園切ってのメイスポットなのですが流石の風景で、
広角で撮りたかったなあと思いました。



3日め
寝坊という大失態をしでかし、始発に乗り遅れます。
今まで旅行でしたことはなかったんですけどね…
前日にエルミタージュ展の特集を見たからでしょうか。

宇和島
宇和島に向かう途中にとんでもない絶景がありました。
普段、山深いところを”下から”見ることは見慣れていましたが、
今回は逆に”見下ろす”形になっていたので貴重でした。

宇和島は、道路が南国風になっていたり、アーケード商店街に活気がありました。

南国風ストリート

商店街

宇和島城

とにかく石垣のインパクトが大きいです。
急な斜面を登っていくと、霧の宇和島城に出逢いました。
時間になる前でしたが、特別に天守閣を見せてもらうことができました。
内部は城好き必見です。

内子












ちょうどのタイミングでボンネットバスに滑り込むことができ、町並みの一番上から見学を進めることができました。
バスで説明を受けていなかったら見学できなかったなというところもあったので、寝坊して結果オーライといったところでしょうか。

内子という町は、それほど知名度があるわけではないので、お年寄りがメインかなと思っていたら、女子高生の団体や、若年層の観光客も多いようで驚きました。

町並みの一番上に当たる高昌寺は、古くからの趣をたたえていてよかったです。

高昌寺

観光の中心はかつての木蝋問屋であった上芳我家が中心となります。
ここで面白かったのは、ただ単に古くからある屋敷だから名勝になったのではなく、
一時は賃貸に出されていたり、カフェになったりしていたりと、時代に応じて様々な使われ方をしていたというところ。
古い家という見方以外の視点も持てました。

上芳我家

幻の3階と”落ちない”柱

箪笥階段

渡り廊下を走ってはいけません

木蝋を作る器具

外の様子

本芳我家

本芳我家の庭園

あとは、古くの薬問屋を改築した商いと暮らし博物館。
木蝋生産最盛期から末期にかけてを、人形によって描いています。

商いと暮らし博物館

おまえも蝋人形にry

※SPECではない

そしてもう一つ、忘れてはいけないのは内子座。
昼時に行ったため、まさに内子座化しきり状態。
舞台に上がってひとり中曽根オフちっくなことをやったりと、やりたい放題でした。
とても貴重な経験でした。

内子座

雰囲気が出ている

※中曽根オフは案内の人にバレました

ありーなー

俯瞰風景

駅に戻っては、土産物屋の人とバスの運転手さんと一緒に燕のひなを探したりと、
普通の旅行とは一線を画した出来事が色々ありました。

内子は「町並み保存」をしているだけのことはあって、とても雰囲気がよいところでしたが、
それだけじゃないなというところが、地元の新聞でしょうか、書いてありました。
「観光客が増えるのがいいことではなく、観光客とどう関わっていけるかが大切」と。
内子が成功しているのは、歴史に裏打ちされた独自要素も強いですが、それゆえの努力もあると感じました。
今度は時間を気にせず、ゆっくり訪れたいなと思います。

昔の街並みではないものの、こういう街並みも好きです

松山城

何故私が松山城に行こうと思ったかというと、もちろん有名な観光名所であるということはもちろんのことなのですが、矢絣に袴のお姉さまがいるという理由があったような気もします。
とにかく土地が広大で、ロープウェーを使っても本丸までは距離があります。
宇和島城ほどではないのですが、ちょと体力が必要かもしれません。

伊予鉄の路面電車

※カメラだけ後ろに向けています

石垣


\天守閣/

天守閣が現存している稀有な城で、また有数の現存する平山城であるという希少性もさることながら、
史跡と観光をうまく融合させているなあと感じました。
今思い返せば、基本的に、四国の観光地はどこも巧みです。

萬翠荘

外観だけしか見ていませんが、この建築は見事です。

道後公園(湯築城址)

かつての湯築城を公園として整備したものです。
現存しているのは堀と土塀のみであるものの、小高い丘になっているため、松山市内が一望できます。
ちょっとした登山風。

松山城を望む

坊っちゃん列車、推参

伊佐爾波神社

石段を登るとそこは
道後温泉の近くに位置する神社で、八幡宮です。
とても急な石段が特徴的で、本殿まで一気に登ることになります。
それでも塩竈神社ほどではありませんでした。
頂上には緑に映える朱塗りの本殿があります。

八幡宮でした

道後温泉

道後温泉本館
まさに大人気スポットと言っていいでしょう、客足が絶えることはありませんでした。
まさに千と千尋の世界です。
真正面もいいのですが、側面からのほうが雰囲気が出ていて私は好きです。

横から

有料で見学ができる又新殿は、滅多に見ることができないのでとても貴重でした。

泉質としては、多少滑っているかなという感じだったのですが、色々なところで言われているとおり全く湯冷めしませんでした。
火照りが2時間くらい続いたような気がします。


この近くで、中華料理屋さんがありまして、見た目は「やっているかな?」と心配になる程のところなのですが、
ここの天津飯がおいしすぎて、泣きそうになりました。

道後温泉時計塔

ここで、ひとりのボランティアガイドのおじさんと出会いました。
とても気前のよい人なのですが、ガイドとして素晴らしい人で、ああいう人がいるから観光が成り立つんだなと思いました。
押し付けない、しかも知識豊富、そして観光地への愛がある。
素晴らしいし、学びたいと思いました。

夜の道後温泉駅

商店街。BGMにサウンド・オブ・サイレンスがかかっていてもう白旗です

5日め

松山坊っちゃんスタジアム
下灘駅

何かがあるわけではありません。
しかし、ホームと海しかないというところが、この地に足を運ばせます。

ということで、過去幾度となく青春18きっぷのポスターにもなっている下灘駅です。
あいにくの天気ではありましたが、ホームの眼前に広がる海は壮観でした。
鮮やかなホームの駅名プレートのほうが印象的でした。


大洲

今も残る白壁の城壁
まず大洲城です。
再建のため、あまり注目される城ではありませんが、四国に現存する天守閣の中では最大の大きさを誇ります。

大洲城

急階段でこれがいきなり現れると吹く

同じく有名なのが臥龍山荘。

趣があるところですが、写真ではその素晴らしさをあまりよく表せません。
写真では移せなかったり、また公図に無理があったりと、
こちらも実際に見ないとなかなか良さが分からないところです。

臥龍山荘・庭園

あとは、連続テレビ小説「おはなはん」で使われたおはなはん通りがあったり、

おはなはん通り

明治の町並み
大洲神社で街宣カーのような大音量を流す車がいたり、

大洲神社
ポコペン横丁は、昔懐かしい、大正・昭和の時代の要素を集めたどころか雰囲気までそのままで、全く背伸びしていないところが魅力で、
すみぺのレディゴで流れたオリンピックの歌が流れてきて吹きだしたりと、すみぺ世代ドンピシャなたまらないところでしたね。

ポコペン横丁

古い町並みをそのまま残しており、城壁が残っていたり、昔からの町並みが残っているのは内子と同様かそれ以上なのですが、
それは作られたものじゃなく、
町の暮らしがあって、その上で観光があるという感じがして、無理が全くないんですよね。

大洲〜丸亀
JR松山駅の改札が”矢絣もぎり”になっていたりと、どこから突っ込んだらいいのか分かりませんでした。

そして、やっと見えた青々とした瀬戸内海と島と、そしておそらくは対岸。
あまりにも素晴らしかったので、カメラに収めるのはやめておいた。

丸亀駅
何も言わずにご覧ください。






丸亀城

丸亀市街は城祭りのためすごいにぎわいでした。
城自体の大きさはそれほどでもないのですが、石垣の上に非常に映えるんですよね。
町自体がパワフルでとても楽しいところでした。
KIOSKで青い栞が流れ出した時はどうしようかと思いました…

金刀比羅宮
駅を下りてから金刀比羅宮の登り口に行くまで結構距離があります。
あずにゃんTシャツを着たおにゃのこが上から下りてきたのでテンションが上がりました。

本殿までは60分(前見た資料では40分)かかるというところを、30分弱という凄まじいスピードで登りました。
こちとら石段慣れしているという理由はありますが、
色々な人がのぼりやすい町に整備されているというところが大きいでしょうね。
伏見稲荷(京都)や神倉神社(和歌山)、塩竈神社(宮城)に比べたら全然です。

本殿はやはり歴史なあり古めかしくていい感じで、神楽殿も同じくらいいい感じでしたね。

狛犬もでかい

参道

実はこれも大分手前の山門

好きな構図

この石段を登るとそこは

金刀比羅宮

神楽殿の屋根が龍神の社っぽくなっていますね


奥宮まで行くつもりは最初なかったので、どのくらいかかるか聞いていなかったのですが、
守衛さんに聞いて、
「元気な人なら20分、休み休みで30分」という話を聞き、これはいけるんじゃないかと思って行ってみまして、
あほなので15分で登りました。
帰りもまだまだ余力があったので余裕で下ってきたあたり、だてに旅行に行く旅に石段登ってないなあと。
奥宮

奥宮からの風景


そんなこんなで、南北300キロにわたる四国瀬戸内の旅は終わりました。
列車が遅れたり、寝坊したり、圧倒的に時間が足りなかったり、決してすべてが順風満帆に終わったわけではありません。
むしろ、近年まれに見る上手くいかないぶりだったと思います。
ただ、貴重な経験を各所でしましたし、色々な出会いがありました。
こんな旅、またしてみたいです。

ご静聴ありがとうございました

執筆 2012年5月4日
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