個人サイトはまだ戦える
〜ニュースサイトの面影とテキストサイト〜

今日もまた一つ、老舗サイトの更新停止を知りました。
今年なんと言っても大きかったのはカトゆーさんの更新停止でしたが、ここ2、3年で更新を停止したり、サイトがなくなったりしたところが、とても多かったように思っています。

企業のネット参入による第一波。
SNSの進出による第二波。
携帯端末による第三波。

生活におけるネットは日に日に変容していき、その流れに合わないなと感じたサイトは幕を閉じていく。
よくよく考えてみれば、不思議なことじゃないんですよね。
特にニュースサイトは、荒波に耐えてきたなと思います。

配信サービスができる。
巡回ツールができる。
企業が自身でニュースを配信し始める。
Twitterでフォローしてれば即座に本人から情報が出てくる。
Facebookの情報のほうが早い。
スマホがLineがぐぐたすが云々…

逆風です。
逆風の嵐です。
それでも、生き残ってきた。

ニュースサイトには、上記のサービスでは語れない良さがあると思います。
それは、一人の人間が、自分の感情に基づいて紹介しているということ。
”友人との会話の中で出てきた興味深い情報をつかみ取る”かのような、そんなよさがあるんです。
だから私は、今でもニュースサイトを見ちゃいます。
なぜか、そっちの方が信頼性が高い、と思っていることもしばしば。
人の血が通ってる謎の安心感が、ニュースサイトにはあるのです。
(ただし、最近話題の”盥回しニュースまとめサイト(アンテナ?)”は除きます)



そして、私はテキストサイトという選択をしました。
当初はニュースサイトめいたこともやってましたし、1日の更新に4時間かけたりとほぼニュースサイトだった時代もありますが、いつの時か
「ああ、私がやりたいのはニュースじゃない、文章書きたいんだ」
と思ってからは、今のスタイルに至ります。

テキストサイトの強みって、紙媒体の本と同じだと思っています。
日付と、表題と、最初の挨拶と、本文と、最後の挨拶というフォーマットは、おそらく10年以上変わってません。
かなり長く続いているテキストサイトも、その構成を変えずに今に至れてるんじゃないかと思います。
長年スタイルを変えなくても、キーボード一つで戦える。
これは大きいです。

そして、ニュースは最悪誰かにとって変わられてしまう可能性があるけれども、個人の考え方や趣向、そして文章は真似はできても同一化はできない。
”ゆいいつむに”なのです。

さらに、「終わりがない」。
ニュースサイトだったら、毎日更新が止まったら「どうした!?」と心配されますが、テキストサイトだったら、ひょっこり「ただいま」と言っても大丈夫なのです。



じつは、ニュースサイトを自称し、実際に見かけはどこからどう見てもニュースサイトなところでも、実際にはテキストサイトに近くなっているんじゃないかと思います。
自分のスタンスであるとか趣向、自分が知ってもらいたいものを提供しながら、自分の考えを合わせて提供する。
これって、手段が”文章”なのか、”ニュースの引用とそれに対するコメント”なのかの違いがあるだけで、本質は一緒なんだと思うんです。


「ニュースサイトは終わった」と嘆かれて久しいです。
そして、今の状況を勘案しても、どうしても縮小傾向にあるんだと思います。
でも、テキストサイトが終わったとは、誰も言ってないよね?



そうです。
まだ戦えるんです。
個人サイトはまだ戦えるんですよ。
テキストサイトだとかニュースサイトとか、そんなくくりは些細なこと。

ここからは私事になりますが。
正直、何カ月か前に「そろそろ潮時かな」と思ってサイトを閉じようと考えたこともありました。
でも、違うんです。
やっぱり、書かなきゃ私じゃないんです。
書けるうちは、ひたすら文章を打って、自分の考えていることをとにかく外に出して、更新していたいんです。
もはや病気です。
でもそれが私が打ちこめる、とてつもなく大きな大黒柱にいつの間にかなっていたんです。


紙の本がしぶとくなくならないように、テキストサイトもしぶとく残り続けます。
堂々と、個人サイトやりましょう。

執筆 2013年12月1日
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