歯車の噛み合わない世界だっていいじゃないか
〜人生は 炉心融解 セカイ系〜


私が考える人生のイメージは、「ドラマの主人公」です。
もちろん、人生=ドラマ、という非現実的な意味ではなくて、あくまでイメージの話なのですが。
特にきな臭い話ではなく、ゆずに「僕の漫画の主人公」という歌がありますが、あんな感じです。


生まれた時から死ぬまで「風花」という人間を演じ、
死を迎えた瞬間に
「カット!!」
という声が聞こえ、共演者が花束を持って、物語の大団円を伝えに来る。

だから、平平凡凡であるはずの私なんかでも、ここまで生きてきた中に印象的なエピソードが何十も何百も存在しているんだろうなと。

昔からドラマを見ていたからでしょうかね。
こんなイメージが、いつの日からか形成されていました。


ところで、ボーカロイド・鏡音リンに「炉心融解」という歌があります。
詞を要約すると、
「自分がいなければ世界の歯車は噛み合う」
という話だったりします。


あながち、この歌は核心をついているなと、そう思います。
たぶん、自分がいなければ、自分がいない世界ってものすごくスムーズに回るんだと思うのですね。
そこに自分の意志が及ばないから、やきもきすることもない。

ただ、それを裏返して見れば、
自分がいれば世界の歯車は、どこか噛み合わなくなる。
自分が何かをすれば、どこかで何かが起こる。

歯車が噛み合わない世界、自らの意思で歯車が噛み合わなくなった世界。
つまり、きみとぼくの関係で世界が終ったり救われたりする「セカイ系」ではないかと。

なるほど確かに、自分が動いたためにこれまでに幾多のエピソードが生まれてきたわけです。
もしあの時別のようにふるまっていたら。
もしあの時何もしなかったら。

何もしなかったことだって選択肢です。
おそらく、ここにいる自分は今の自分と少し変わっているのではないかと、そう思います。
よく「社会を蔑ろにしている」と揶揄されるセカイ系ですけれども、我々の感覚に結構近いのかもしれません。


ということで、話を元に戻しますと、
自分の人生がドラマだと考えると、やはり自分の行動って世界に何らかの影響を与えるんですよね。
だから、そこにあなたがいなくていい理由なんかない。
そう思います。

だから、鏡音リンの炉心融解は逆なんだよと。
歯車がかみ合わない世界かもしれないけれども、それでいいんだよと。


というわけで、いろいろな岐路に立たされている人、人生ってなんだろうと考えてしまう人いると思いますが、
思い切って、その一歩を踏み出して見たらいいんじゃないかと思います。
元々噛み合わない世界なんですから、一歩踏み出して少しくらいかみ合わなくなったっていいんです。
その勇気が称賛される日が、いつか来ます。

そして、自らそのドラマを終幕してしまう事だけはやめてほしい、どんな人生でもその選択肢よりはずっとずっといいから。
人生は、残念ながら一度しかないのです。


執筆 2010年1月26日
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