過程主義


結局は結果である。
ただ、日本人に限らない話なのかもしれないが、日本人は過程を見る傾向が強いように思う。
過程主義である。
だから、温情というものがある。
だから、終身雇用、年功序列が成立してきたのだと私は思う。

テストで測れないものがある。
それは誰しもが感じることであろう。
ただし、この国はすべてペーパーで決めてしまう。


私は他の世界を全く見ていない。
ゆえに学生についての言及しかできないのだが、勉強の話に置き換えてみることにする。

そもそも、人間には適正があって、中にはいまのペーパーだけで評価する形式に特化しているような人もいれば、どんな形式のことでもそつなくこなしてしまう人もいる。
個人差という表現がこの場合適切かどうかは難しいが、ただ差があることは事実である。
それを埋めようとするのが努力である。
学生でいえば勉強であったり、部活だったら特訓であったりする。

ただ、その努力が結果に反映されるかといえば、否である。
これは経験した人も多いだろう。
元の能力や努力を差し置いても、運、巡り合わせ、情報量、先達の有無など、あらゆる要因が関わってくる。
団塊の世代退職以前と以後の有効求人倍率しかり、情報がどれだけあるか然り、暴力問題が起こって甲子園に出れない高校野球など、例はいくらでもあげられる。
案外直結はしないものである。

ただ、それでは終わらないのではないかと私は思う。
そこでした努力というのは、一生ものなのだ。
それが役立つ時が、必ず来るのである。
その努力は、その努力に対応した結果には直結しないかもしれない。
ただし、その後の結果、さらに次の結果にはつながってくる、というのがあるのではないかと思う。


そんな中で過程主義というのは、そうやって後々反映されるのだから結果主義でもいいのではないかと思う人もいると思うし、当然だと思う。
ただ、あまりにもその部分が救済されないケースが多いというのは、この競争社会で大いに感じることであることは確かだ。
上に努力の還元という話を書いたが、それが直接の結果に反映されないというケースである。
そういうケースに直面した時、われわれは「やるせない」という感情を抱くことになる。


日本人は、過程を評価する。
残念ながら、結果を見てから、というケースが非常に多いが。
「この人はこうやってこうやって、こういうところで苦しんだんだけど、それでも逆境を乗り越えて結果を出したんだ」
という感想を持ったことは、だれしもあることだろう。
案外、過程を評価しているのである。


ここまで書いてきて、ひとつ言えることは、
過程は人生のどこかで評価される時が来る
ということである。
それはもしかしたら死ぬ1秒前かもしれない。
年を取ってからかもしれないのだ。
だから、若いうちに人生に絶望することは、そういう人は聡明な人に多いかもしれないが、勿体ない。



蛇足ではあるが、最近行政に導入され始めた成果主義について。
民間に導入されて半ば失敗してきたような方策ではあるが、これで果たして行政の成果指標は好転するのだろうか。
行政という環境のみならず、そもそも日本人においては成果主義はあまり適さない評価方法ではなかろうか。
むしろ行政に欠けているのは過程の評価であると私は思う。
かえって、過程を評価するシステムが、完璧な抜け穴が無いということであればだが、構築できれば日本の行政は必ずや好転するだろう。


執筆 2008年7月27日
コラム TOPへ戻る