ルールメイカーとルールブレイカー


世の中にはルールメイカーとルールブレイカーが存在する。
ルールを作るものと、それに従うものだ。
別にルールを作るものと言っても、官僚や代議士を指すわけではない。
とてもわかりやすく言えば、こどもだ。
とりわけ小学生と考えてみるとわかりやすい。
かつて私たちはそうしたのではないだろうか。
世界の中心が自分で、時間は自分を中心にして回っていたはずだ。
遊びを考えてみればわかりやすい。
こどもは、勝手にルールを作る。
野球で鉄棒を越したらツーベース。
現実にはそんな法律はないのに、それを作り出して、みんなで承認して遊び始めてしまう。

そんなことしなかった、ルールを決めていたのはリーダー格だけだ、と思う人もいるかもしれない。
しかし、よく思い出してほしい。
”じゆうちょう”に自分オリジナルのゲームを書いたり、迷路を作って友達にプレイさせたりしたことはなかっただろうか。
それも立派なルールメイカーである。

子供はとんでもないことを思いつくといわれる。
頭に柔軟性があるからだということもあるだろうが、
最も大きいのは、「なにも情報を持ち得ていないから」ではないだろうか。

そしてルールブレイカー。おとなだ。
ブレイカーと言っても何も破壊するわけではない。
ルールがあって、それを打破せずに遵守して生きているという意味である。
社会に出れば民法がある。
そもそも憲法がある。
刑法もあって、少年法の適応年齢は下がりに下がった。
ゆえに、ここでのおとなは青年というよりは中学生以上、と言えるかもしれない。

彼らは何もルールを作りたくないわけではない。
かつてはそうしてルールを作っていたのだから。
ただ、社会に触れ、それができなくなってしまったのである。
しがらみ、責任、いろいろなものがあろう。
ただ、ここでも一番大きいのは「情報を大量に得てしまった」ということではなかろうか。


ルールを作る側、ルールを作られる側。
もちろんおとなの中にもルールメイカーはいる。
社会のスタンダードはそういう人が作り出してきたのかもしれない。
独創的なことを思いつく人というのは、知識はあるだろうが情報をあまり得ず、もしくは情報に惑わされずに自らの道を突き進んだ人ではなかろうか。


私の話で恐縮だが、私がルールメイカーからルールブレイカーになったと考えられるのは高校生の時だ。
定義したものからは少し遅くなるが、中学までは世間を知らなかった。
勉強ができればそれでいいと考えていた、生意気な頃があったのだ。
そして、そのあまちゃんな妄想は高校になって打ち砕かれることとなる。

そのころ、ちょうどインターネット環境が整って、多数の情報が頭の中に入ってきた。
これがいわば転換だったのだと考えられる。
そのころから、現実を見だした。
夢を追うことのできない、つまらない人間になってしまったのである。

よくニートや引きこもりが「現実から逃げる」と表現されるが、実は違う。
彼らは現実のつまらなさに直面して、現実の中で過ごすことをためらっているのである。



忘れがちな、こどものこころ。
今日この頃、そんなことを考えなかった人も多いだろう。
年齢的にはおとなでも、こどもでなくなりたいと思って背伸びをしてじぶんの”こども”を心のうちに潜めているような人も、たくさんいるだろう。
そのこころ、思い出してみるのも、良いことではないだろうか。


私はいつまでもこどものこころを持ったおとなになりたいし、おとなでありたい。
こどものこころを持つことは、決して悪いことではないのだ。


執筆 2008年7月26日
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