風花の20年史


1988年
 この世に生を受ける。
 早生まれなので学年は87年世代(1987年4月〜)と同じ。

1991年
 このころは髪が長く、女の子に間違われることもしばしばだった。
 全く記憶が無いが、そのころのらくがき帳によると幽遊白書にはまっていたらしい。
 当時110円になった自販機の絵を書く。

1992年
 幼稚園に入園。
 送迎バスに一番最初に乗り一番最後に降りるという生活を2年間繰り返す。

1993年
 運動神経はよくないものの、自転車に補助輪なしで乗れるようになる。
 幼稚園のかけっこでは1位になっていた。

1994年
 幼稚園を卒園し、小学生に入学。
 幼馴染と毎日一緒に学校に行っていた。
 三角関係を繰り広げたりもした。

 当時から真面目気質で、図書館で毎日1冊本を借りて読んでいた。
 ゲームは禁止されていたため、紙と鉛筆さえあれば娯楽に昇華することができる才能を得る。
 なお、この頃から字の汚さを直すために書道を学びはじめる。
 結果的に字は上手にはならず、逆に下手になった。

1995年
 阪神淡路大震災が発生、「ザ・ワイド」などのワイドショーを噛り付いて見る。
 当時地震を経験してはいなかったが、地震に対しての恐怖感を覚える。
 このころ既にニュースを見ることが日課だった。

 幼馴染との別れ。
 車を追いかけるというお約束もやった。
 フラグを自ら踏み潰した瞬間。

1996年
 コンテで描いたド下手な絵がなぜか賞を貰う。
 登場人物が全て大の字に手と足を広げて真正面を向いているという悲惨な絵だった。
 ちなみに、小学校在学中に絵の賞をなぜか数個取っているが、そのすべてが子ども的なものであった。
 ゆえに現在でも真正面に向いた絵しか書けない。

 学校の図書館だけでは飽き足らず、地元の図書館にも足を伸ばす。
 「ズッコケ三人組」との出会い。
 3年かけて当時刊行されていたものの大半を読破。

 足が速かった記憶はまったくないが、なぜか市の体育大会の徒競走で3位を取っている。
 ちなみに現在は鈍足、3年前の記録で50メートルを7秒1。

 おそらくこの年にパソコンに触れる。
 BASICによるプログラミングを学ぶ。
 インターネットに触れたのがその翌年。

1997年
 流行から遅れてポケットモンスター赤をプレイする。

 パソコンに触れる機会が激増。
 古くさい割にパソコンに長けるというなんとも微妙な扱いになる。

1998年

 出来事作文がなぜか表彰を受ける。
 語彙力だけはあったがまったく面白みのない文だった。

1999年
 係決めで新聞係になり、壁新聞を製作する。
 今考えると取材に行ったりとかなり行動的だった。
 当時読みふけっていた「とびだせズッコケ事件記者」の影響を強く受けている。

 ポケットモンスター銀をプレイする。
 当時はバグのコピー技が大流行していた。

 この頃には学校で借りた本の数が年間230を超え、小学校の図書館の蔵書ほとんどを読みきる。

2000年
 中学校に進学。
 通学時間が3倍の15分に増える。

 最初のテストで全体順位が20位だったことを悔しく思い、勉強で一念発起。
 以後テストでは常に上位にランクインするようになる。
 しかし、生きるために行う基本的なことがまったくできず、生活面のだらしなさを注意されることが多かった。

 くだらないことにあれこれ思い悩む癖ができたのもこのころ。

2001年
 ケミストリーに傾倒。
 今まで音楽には見向きもしなかったが、その関係でJ-POPを聴きまくるようになる。
 ローカルFMの音楽チャートウィークリーランキングを欠かさず記録し続ける。

 同時多発テロを生映像で目撃、大きな衝撃を受ける。

2002年
 なぜかこの頃学年全体で昼休みサッカーが大流行する。

 完全に受験モードに入るが、当時はやることなすこと何でもできたため受験勉強が楽しかった。
 このころ初めて0時過ぎの勉強を経験する。

2003年
 第一志望に合格、男子進学校に進学。
 中学から通学時間は変わらなかったが、手段が徒歩から自転車になる。
 ここまでは紆余曲折ありつつも順風満帆に思えたが、ここから転落人生が始まる。

 我が家にインターネットがやってくる。
 
 最終兵器彼女で号泣。
 どんな感動ものを読んでも感動しても泣かなかったのが一気に涙腺崩壊、以後は感動すると泣くようになる。
 
 友人の陰謀でSNOWをプレイ。
 大感動して以後泣きゲーに傾倒するようになる。
 冬の時代到来。

 インターネットとネットゲームにはまる。
 パソコンと学校を行き来するという言葉が決して比喩ではない日々を送る。
 当然、勉強はまったくしていなかった。

2004年
 赤点宣告をされるものの、最後のテストで起死回生の平均点以上を獲得。
 前述のように成績はまったくよくなかったものの、なぜか文系一の進学クラスに配分されることとなる。
 これがすべての歯車狂わせであった。

 クラスからハブられていることを突きつけられ、人間不信に。
 今流行の「学校裏サイト」の被害も流行先取り的な感じで受けた。
 この頃は今も思い出したくない、 強烈なトラウマである。

 新潟中越地震に遭遇。
 直接の被害はなかったが、とんでもない揺れを経験する。

2005年
 新しいクラスになり、メンバーに恵まれ人間不信が徐々にではあるが回復してくる。
 このころから勉強もし始めるが、流石にブランクは埋められず、成績も伸びない。
 しかし最初の段階から高望みをしていなかったため、第一志望はまったく変わらなかった。

2006年
 センター試験の数学で大コケし、自己採点ミスもあり第一志望を諦める。
 東京の某Fランク大を受験。
 当日の2chは受験生の中にゴスロリがいたという話題で持ちきりだった。
 第二志望を本命とし何とか合格、浪人を免れる。

 テキストサイト「儚雪の空」を開設。

 大学に進学。
 今考えるとこの大学に進んだのは正解だったと思う。

 絶対に車なんか運転しないと誓っていたにもかかわらず教習所に行くことになる。
 危なっかしくも一度のミスもなく免許を取得したものの、現在ではペーパードライバー。

 公務員になるには簿記が必要と勝手に思い込み簿記の勉強を始める。
 実に3年ぶりに真摯に勉強に取り組む。

2007年
 簿記が伸び悩むも2次関数的な曲線を描き成果が出てくる。
 日商簿記3級に合格。
 簿記2級の勉強も始めるが、3級のときよりきつくはなかった。
 晴れて、日商簿記2級に合格。

 秒速5センチメートルを見に東京まで遠征する。

 公務員試験勉強を始めるも、高校時代のブランクが大きな壁となって立ちはだかる。
 
 人員不足のためにとある団体のトップに立つ。
 リーダーシップと調整力のなさを実感。

2008年
 久しぶりに会った旧友に一同に「老けた」と言われる。

 ふと思い立って、一人旅としては最長となる広島へ行く。
 調べることから実際に行ったことまでを通して、旅の楽しさを味わう。
 ちなみにその後2週間くらいは過労でダウン状態だった。

現在

 普段着が黒ゴスロリの黒髪ストレートロングな彼女に巡り逢う…はずもなく、現時点で彼女いない歴=年齢。
 ひぐらしパソコンに向かいてキーボードを叩き、ちょびっとの期待と莫大な不安を抱えながら公務員を目指す。





つらつらと書いてきましたが、特に面白みのある20年史でもなかったかなあと。

20年間を振り返っているうちに、いろいろなことを思い出しました。
たぶん、書けていないことも、、思い出せなかったことも、他にも沢山あるような気がします。
昔は本当に純朴だったんだなあというのも感じたり、いい加減今の自分のだめさを再認識させられたり。
振り返ってみて、よかったような気がします。

前を向いて生きていかないと、僕のような圧力にすぐ捻じ曲がるような人間は生きていけません。
ただ、こんな企画のように、たまには今まで自分が進んできた道のりを振り返ってみるのも、必要なのかもしれません。


執筆 2008年3月18日 再編集 2008年6月15日
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