学校は「ガッコー」であれ

最近、また「優秀な子ども」がクローズアップされてきているようです。
ここで言う『優秀な子ども』とは、数年前にも「飛び級」などでお茶の間の話題にあがったことがありましたが、例えば「小学生なのに既に大学の勉強をしている」といった子どものことです。


この文を見ている大半の人が「ふつう」の人生を送ってきた人だと思います。
中学受験もあるかもしれませんが、高校受験で初めて"受験"というものを経験して、何割かの人は大学受験を迎えることになります。
その中で、日本の最高学府といわれる「東京大学」に受かったりする人もいれば、地方のあまり名の知れない大学に進む人もいます。
もちろん最高学府に行く人はほんの一握りですから、我々は『東京大学に進学した』と聞くと「すごい」と思うわけです。

しかし、前述の『優秀な子ども』は別の世界に生きているようです。
例えばそういう受験戦線の遥か上を行っていて、将来的にはハーバードなどのアメリカの有名大学に入ったりするパターンもあります。
そういう人たちは、「東大に受かった人よりもすごい」という感じで扱われたりします。

しかし、果たしてこのことは「えらい」のでしょうか。
僕はちっともそういう風には思えません。


受験勉強中に、もしくは受験が終了してから悟った人もいると思いますが、受験というのは「努力を見る試験」なのです。
よく「量より質」と言われますが、実際に影響してくるのは「努力量」。
だから、東大にあまり勉強せずに入る人は(いるのかもしれませんが)殆どいませんし、勉強したくなくて東大に行く人はいないでしょう。
もうひとつの要素として「豊富な経験を持った先達」というのがありますが、ここでは割愛します。
つまり、東大をはじめいわゆる「いい大学」に行く人はすべからく努力しているのです。

そして一方、『優秀な子ども』はどうかといえば、
たしかにセンスはあって頭はいいのでしょう。
ただ、それって殆どの場合「親のお仕着せ」なんですよね。
6歳の子どもが自ら大学の勉強をしたいなんていう確率は地球が逆回転をしだすくらいの確率だと思います。
いわば「環境が整備されている中で結果を出した」と言ってしまっても過言ではないでしょう。
そして、いくら小学生のときに大学や大学院クラスの頭脳を持っていたとしても、結局は「普通の人が数年後に通る道」なわけで。
「すごい」とは思わないこともないですが、「えらい」とは思えません。


そんな事例を受けてかどうだか知ったこっちゃありませんが、「お受験」がブームになっているようです。
中学校受験、小学校受験、ひいては幼稚園受験まで。


ところで、そもそも、学校って勉強するだけの場所なのでしょうか。

英語で学校のことを"school"といいます。
これは、ギリシャ語の「スコレ」からきたもので、意味は確か「ひま」とか「遊び」という意味だったと思います。
学校って、もともとは勉強する場所ではないのです。
そこで学んだり遊んだりして過ごす中で、他の生徒と触れ合うことによって自分自身を成長させる場所なのです。
学校というのは「小さな社会」なんですよね。
そこで義務教育としては9年間、大半の人は12年間まなんで、「ホンモノの社会」に出て行きます。
この12年間というのは、勉強という面だけでなく「人間性」という面でもかなり大きな経験になると思います。
今流行りの「コミュニケーション能力」というのも、ここで培われるものではないでしょうか。

アメリカで飛び級をした子どもの中には、精神的に病んでいる人もいるそうです。
それはやはり飛び級をくりかえす中で学校生活を経験していないということがひとつの理由だと思います。


教育基本法などの論議も続いており、学校は変革の時期を迎えています。
しかし、いくら学力低下だといっても、勉強オンリーの方向に進めるのだけは避けてほしいと思います。
学校が「ひま」や「遊び」の機能を持たなくなってしまったら、それこそ「ゆとり教育のほうがまだマシだった」ということになってしまうのですから。

余談ですが、僕らの世代が小学生だった頃は、土曜日にも学校の授業がありました。
俗に言う半ドンです。
「ガッコー行こうぜ」「ガッコー終わったら○○んちに集合な」
合言葉が"ガッコー"だったあの頃。

今の小学生は、塾に明け暮れているのでしょうか。


やはり、子どもの生活の中心には「学校」があって欲しいです。




ちなみに、前述の"学校"と同じような例で「会社」があります。
会社を英語で言うと"company"。
この「カンパニ−」とは、「一緒にパンを食べる人」という意味なのです。



執筆 2007年4月15日
コラム TOPへ戻る