『夢』とは何だろうか。
といっても夜見る夢では無い事はあらかじめ述べておくこととする。
俗に言う「将来の夢」である。

小学生の頃に多く見受けられるのは『〜になりたい』というような「どのような職業に就きたいか」という旨のものである。
ある意味、その考え方は最も分かりやすく現実的である。
しかし、人は年を重ねるごとに夢に対して違った考え方を持つようになる。
例えば、「平穏に暮らす」「社会に貢献できる人物になる」など。
このような考え方は非常に漠然としており捉えがたい。
それゆえ、人はいつしか夢を見失ってしまう。

私は小学生の頃サッカー選手になりたかった、らしい。
記憶が無いので自身では断言できないのだが、当時のものを見てみると本当にそうだったようである。
なんとなく雰囲気で分かった方もいると思うが、私は幼いときからもともと運動がからっきしであった。
それでも、なぜかスポーツ選手。
おそらくは当時サッカーが流行っていたのだろう。ただそれだけのことである。
当時は自分の能力を見限ることなく本当の意味での夢を見れたときだったのかもしれない。

大人と呼ばれる年代に近づくにつれて社会というものがわかりはじめ、自分の能力がわかるようになる。
職業と夢というものがだんだん切り離されてくる。
そして、人は社会に取り込まれる。
途切れること無く流れていく時間に忙殺されながら生きる中で、人は夢を見失ってしまう。

夢を追い求め続けている人もいるのは確かだ。
例えば逮捕されたがライブドア元社長の堀江氏。
確かに彼は個人的にいけ好かない男ではあったが、夢を追い求める者であった。
プロ野球参入、マスコミ買収、ひいては宇宙へ。
すべて未遂で終わるというふうにやることなすこと破天荒な人ではあったが、人生を相当楽しんでいたのだろう。
最後は最悪の結末となってしまったが。
それでも、夢を追い求められる人は本当に凄いと思う。

しかし、万人が万人このように出来るかといえばそういうわけではない。
多くの人はそれなりの人生を送ってそれなりの終焉を迎えるのだろう。
自分の場合も、まだはっきりと見えているわけではないが将来の夢というものはある。
しかし、それは所詮就きたい職業に過ぎない。
「人生の夢」として追い求めるものこそが夢の本質なのであると私は思う。

一度しかない人生、自由気ままに生きたいものである。
しかしそのように生きれる人はほんの一握り。
あとの大勢はそのような生き方は出来ない。

幸福に生きたいと言う人がいる。
人々のささやかな願いであり、おそらく大勢の人がこのような考え方をしているのではなかろうか。
事実、自身では報われない人生を送っていると思い込んでいる私も、幸福に対しては「幸せの総和はみな平等である」という半ば自分を騙すような持論を持っている。
しかし、これも捉え方による部分が大きいことは否めない。
ポジティブシンキングとネガティブシンキングによる部分が大きく、非常に定義が難しい問題である。

それならばいっそ、相対的な見方をやめ、絶対的な見方をしてみよう。
私は人生においてたくさん感動し、最後「人生においてたくさん感動できて良かった」と思って終焉を迎えたい。
それが私の夢、なのかもしれない。

執筆 2006年3月31日
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